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	<title>未分類  |  takuya-misawa.com</title>
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	<description>映画監督 三澤拓哉のブログ</description>
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		<title>佐藤忠男先生が逝去されて</title>
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		<dc:creator><![CDATA[takuya_misawa]]></dc:creator>
		<pubDate>Fri, 25 Mar 2022 22:28:01 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>
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					<description><![CDATA[「人の話しを聞ける人」 どんな人が映画の作り手に向いているか、という質問に学長の佐藤先生はそう答えた。 日本映画大学の受験説明会でのこと。 映画は強烈な個性を持ち、表現することに長けた人のためのものだと思っていたが、 そ [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>「人の話しを聞ける人」</p>
<p>どんな人が映画の作り手に向いているか、という質問に学長の佐藤先生はそう答えた。</p>
<p>日本映画大学の受験説明会でのこと。</p>
<p>映画は強烈な個性を持ち、表現することに長けた人のためのものだと思っていたが、</p>
<p>そうではなく、受け止めることができる人が向いているらしい。</p>
<p>会場の片隅に座っていた私は、それなら自分にもできるかもしれない、という直感を得て、</p>
<p>約半年後、日本映画大学に入学した。</p>
<p>もちろん「人の話を聞く」と一口に言っても、簡単なことではない。それを痛感したのは入学直後に取り組む実習科目でのことだ。</p>
<p>「人間総合研究」という名のこの実習は、一班15人前後で組み、取材対象（人・モノ・コト）を決め、約2ヶ月の制作期間を経て作品を合評会で発表する、というものだ。取材時には写真用フィルムカメラと録音機材だけ用いるので、映像ではなく静止画によるドキュメンタリー作品のような完成形になる。</p>
<p>取材の申し込みから全ての行程は学生に委ねられている。私たちは取材対象者から何を聞くべきか、その言葉を通して、何が見出されるかを問い続け、取材を進めていく。取材対象者は必要に応じ、2人、3人、4人と増えていく。そうすると、初めは見えなかった1人目の取材対象者を囲む”社会”がおぼろげながらに見えてくる。</p>
<p>取材で聞いた言葉、班内で交わした意見、多くの「聞く」という行為を通して、はじめて何を表現すべきか、というステージに立つことができる。</p>
<p>合評会で私たちの作品は佐藤先生に「画期的な傑作」と激賞された。その後、すぐに佐藤先生は学生の作品をかなり褒める傾向にあると知るが、それでも自分にとって、初めての作品がそのような評価を得られたのは率直に嬉しかった。</p>
<p>大学生活2年目に入ろうとした頃。学内の機関紙「日本映画大学だ！」の編集委員をしていた私は、その号の目玉企画として友人と一緒に佐藤先生のインタビューを担当することになった。</p>
<p>当時、フランス現代思想かじりたての私は変に気負ってしまい、小難しく、それっぽい言葉でインタビューをしていたように思う。そんな私に対し、佐藤先生は一貫して平易な言葉で応じられていた。映画評論とは、という問いに「解説です」と一言で返され、肩透かしをくらった思い出がある。しかし、いま改めて佐藤先生の功績を振り返ると「解説」の一言に底知れぬ奥深さを感じる。</p>
<p>大学4年目、初監督作『3泊4日、5時の鐘』が完成すると、個人的にお話しをさせて頂く機会が増えた。</p>
<p>劇場公開時にはパンフレットへの文章や、チラシへのコメントを寄せて頂いた。また、会う度に、次（の作品）は決まってるのか、と気にかけて頂いた。それが何よりも励みになった。</p>
<p>『3泊4日、5時の鐘』が北京国際映画祭に招待された時のこと。新人監督部門の会場である北京電影学院にて、そこで教鞭をとる王先生という方から声をかけられた。本当に佐藤先生にはお世話になったんです、と言って本を手渡された。それは佐藤先生の著書「日本映画の巨匠たち」を王先生が訳したものだった。佐藤先生の本で日本映画を学んでいる、と聞き、胸が熱くなったのを覚えている。</p>
<p><img fetchpriority="high" decoding="async" src="https://takuya-misawa.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_5460-500x375.jpg" class="aligncenter size-medium wp-image-80" width="500" height="375" alt="" srcset="https://takuya-misawa.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_5460-500x375.jpg 500w, https://takuya-misawa.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_5460-800x600.jpg 800w, https://takuya-misawa.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_5460-300x225.jpg 300w, https://takuya-misawa.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_5460-768x576.jpg 768w, https://takuya-misawa.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_5460-1536x1152.jpg 1536w, https://takuya-misawa.com/wp-content/uploads/2022/03/IMG_5460-2048x1536.jpg 2048w" sizes="(max-width: 500px) 100vw, 500px" /></p>
<p>佐藤先生は映画について夢中で話す。夢中になり過ぎて、授業終了時刻に気がついていないこともしばしばあった。小津安二郎の撮影現場を見学しに行った時、「こんな風にして小津監督はファインダーを覗いていた」と佐藤先生はその場で腹這いになって”小津のローアングル”を真似て見せたりもした。「たまに外国に招待されると、観光名所に行きましょう、と言われるんだけど、いつもその国の映画を見せてほしい、と言うんだ」というお話もされていた。</p>
<p>一個人が持った映画への熱烈な思いが、今、その人がいなければ生まれなかった映画文化として生き続けている。私は一映画ファンとしてその文化の中にいるのだ。</p>
<p>3月17日に佐藤先生が逝去された、と報じられた。学生として多くのことを教えて頂き、作り手としてたくさんの場面で励まして頂きました。本当にありがとうございました。</p>
<p>「聞く」ことから「表現する」ことへ、先生の著者等を通じ、まだまだ学ばせて頂きながら、磨いて行きたいと思います。</p>
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		<title>この空気に飼い慣らされないために</title>
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		<dc:creator><![CDATA[takuya_misawa]]></dc:creator>
		<pubDate>Thu, 17 Mar 2022 01:54:55 +0000</pubDate>
				<category><![CDATA[未分類]]></category>
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					<description><![CDATA[3月9日、ある映画監督の性暴力が報じられました。 声を上げた方・被害に遭った方が少しでも安心できますように、 連帯の意志を表明します。 &#160; &#160; 以下に記したのは、 映画関係者が起こす性暴力、セクハラ、 [&#8230;]]]></description>
										<content:encoded><![CDATA[<p>3月9日、ある映画監督の性暴力が報じられました。</p>
<p>声を上げた方・被害に遭った方が少しでも安心できますように、</p>
<p>連帯の意志を表明します。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>以下に記したのは、 映画関係者が起こす性暴力、セクハラ、パワハラのニュースを見る度に、私が思い出す二つのことと、それについての所感です。</p>
<p>その二つのことと、今回報じられた件とは直接的な関係はありません。 映画の作り手である自分自身に杭を打つ、そのために書いた文章です。</p>
<h2>この空気に飼い慣らされないために</h2>
<p>映画関係者による性暴力、セクハラ、パワハラのニュースを見る度に思い出すことが二つある。</p>
<p>一つは足立紳監督作『14の夜』の<a href="https://eiga.com/news/20161013/3/" class="broken_link">この映画.comの記事</a>である。</p>
<p>初めて読んだ時、こんなものを世に出していいのか、と驚いたのを覚えている。 引用することに抵抗を感じるほど、タイトルから酷いが、特に記事内にある監督の「〜男性スタッフがぞろぞろとモニターの前に集まってきてしまったのを忘れられません」というコメントを読んで唖然とした。</p>
<p>当時10代だったこの出演者が前向きなコメントを残していても、その光景を想像するだけで、おぞましく感じた。</p>
<p>私の知る限り、署名の無いこうしたweb媒体の記事は取材に基づいて書かれたものではなく、 「プレスリリース」と呼ばれる映画の広報・宣伝サイドが用意した資料を元にしていることが多い。各媒体は送られてきたプレスリリースを元にアレンジを加えたり、場合によってはそのままコピー＆ペーストしたりして、記事としてアップする。</p>
<p>もし、この記事がプレスリリースを元にして出されたものだとしたら、 撮影現場だけでなく、そこから離れた場所（=広報・宣伝）でも、その価値観を共有していたと言えるだろう。</p>
<p>2016年に書かれたこの記事を、映画関係者による性暴力、セクハラ、パワハラが報じられる度に、検索し、探してしまう。 関わった誰かが「あれ残してたらマズいですよ」と気が付いたりして、 記事の削除要請をしてたり、 媒体側が「これ残しておくのヤバイですよね？」と言ってこっそり削除していないか。 小賢しく見えても、その意識の変化があるだけ良いと思ってしまう。 そんな淡い期待を抱きながら、検索するが、今日もまだある。（※ 当該の記事が削除されているのを確認したため追記します 2022.3.21）</p>
<p>もう一つは、25歳の時に参加した撮影現場でのこと。 当時、映画の専門大学に通う3年生だった私は”見習い制作部”として京都を舞台にした映画の撮影に参加した。 その日の撮影は料亭で行われた。</p>
<p>皆が次の撮影に向けて準備をする中、当時30前後の助監督が私に向かって 「その気になれば、お前の精神を壊すことができる」というようなことを言った。 一言一句が正確かは自信がない。ただ「精神」という言葉ははっきり覚えている。 自分が何をして、そう言われたのかは思い出せないが。</p>
<p>現場はその一言で緊張が走った。 自分はどんな顔をしていたのだろう。 どうすることもできず、その場で立ち尽くしていると、そばにいた監督が「イジメないでください〜」と言った。 助け舟だと思った。 自分に対しての、そして空気が重くなる現場に対しての。 すると、その監督の発言に対して、すぐ横にいた当時60半ばの撮影監督が 「いやあ、そういうのも必要なんだよ」と言った。</p>
<p>なに言ってるんだろう、と思った。 私の理解が追いつく前に、 他のスタッフが動きはじめたので、自分も次の撮影に向けて再び動いた。</p>
<p>振り返ると、助監督の発言以上に 撮影監督の言葉に絶望する。</p>
<p>それと同時に、まさにこのような”下っ端をいびる精神”が受け継がれて、今の映画業界があるのだと納得してしまう自分もいる。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>一つ目は読んだ記事のこと。二つ目は自身が経験したこと。二つの性質はそれ以外の部分でも大きく違うのは分かっている。 しかし、私にとって、そこで炙り出される感情は同じ「諦め」だ。</p>
<p>3月15日、性暴力を報じられた監督の映画が予定通り公開される、と発表された。 結局、何も変わらず、また元通りになってしまうのか。（※公開中止が発表されたため追記します。2022.4.1）</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>上で書いたことは、映画業界ではありふれた光景だと思う。 中には、私が何を問題視しているのかピンとこない人もいるだろう。 私からすれば、そういう人は感覚が麻痺していると思う。</p>
<p>以前、ハラスメントの防止をテーマに話し合う催しに参加した際、 一人のベテラン監督が「僕たちの世代はみんなセクハラとかパワハラを乗り越えてきちゃったから」と言った。 ちがう、と思った。 自分の傷みにも、他人の傷みにも鈍感になっただけだろう、と。</p>
<p>件の映画監督による性暴力の報道に、声を上げている映画関係者は意外なほど少ない。 いつも公権力にNOを言う人が、この問題に対しては黙りこくっているように見える。</p>
<p>もし、自分がハラスメントを”乗り越えてきちゃった”監督だったら、 声を上げるのは難しいだろう、と思う。 なぜなら、これまで見て見ぬ振りをしてきたものが、ぶり返してくるだろうから。</p>
<p>そうではなかったとして、 仮に今、自分が大きな仕事が決まっていたら、決まりかけていたら、あるいは将来それを望んでいたら、業界に対して批判的な意味合いを持った文章を書けるだろうか、とも想像する。</p>
<p>難しいだろうと思う。「あいつは面倒くさいやつ」と思われたくない気持ちが働くだろう。保身である。</p>
<p>&nbsp;</p>
<p>もちろん、声をあげることも、あげないことも自由だ。それぞれの事情や心情がある。 第一、インターネット上だけが全てではない。SNSなどで見える部分はその人のほんの一部でしかないと思っている。 ただ、何らかのアクションを起こさない限り、何も変わらない。 （これは作劇の基本でもありますよね？）</p>
<p>私は現在、フリーランスの映画監督をしている。 自身とキャスト・スタッフの関係性が健全な状態であるか、 常に問いたださないと行けない立場である。 今後もその意識を切らさないようにしたい。</p>
<p>また、映画監督は周囲に対し「公正であること」は当然として、 作品が「面白いこと」で、はじめて評価される存在である、と自戒を込めて書き添え、この文章を終えたい。</p>
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